
おはようございます。
カイゼン研究会(a-Sol上海) 宇賀です。
浙江省に
仕事で行っていたのですが
観光に連れて行っていただける
ということもあり
浙江省の嘉興市を訪れました。
私の住む上海から
高鉄で30分くらいの場所で
かなり近いのですが
そのせいもあって
なかなか行かなかった場所でもあります。
湖を中心とした
静かでこじんまりした場所なのですが
古くからの建築も残っており
それが古鎮になっていたりします。
食べ物は
粽(ちまき)と焼売が有名らしく
特に焼売は
中国に来てから初めて知った
もち米タイプではなく
日本でもなじみのある
肉の詰まった焼売なので。
(中国では焼売と言えばもち米が一般的)
そんな
静かな都市なのですが
今の中国にとっては
聖地となっている場所なのです。
なぜかというと
中国で初めて
共産党全国代表大会が
開催された場所として。
(↓党大会については以前書いたのでご参考↓)

初の党大会は
上海の今の新天地で行われたのですが
途中で当時の警察に気づかれたことから
急遽、場所を移動し
党大会を行ったのが
嘉興市にある湖の船上だった
ということです。
なので
その船は紅船と呼ばれ
その後、聖地になっているということです。
このような場所は
中国にかなりあるのですが
嘉興市でも
小さく静かな町なのに
そういった経緯から
のどかな街に似つかわしくない
考えられないほど
荘厳で巨大な
革命歴史博物館というのがあります。
圧倒されるくらいような建築で
見たことないくらい大きな国旗が飾られており
無料で開放されています。
その博物館では
だいたい1900年代以降の
中国と共産党の歴史が
展示されており、
現代史がほとんど網羅されているという感じで
かなり詳しく現代史を知ることができます。
案内してもらいながら
その巨大な博物館に入っていくと
ものすごくお金がかかっているだろうな
ということがひと目で分かり
展示も豪華で
しかも
説明の順序もわかりやすく工夫されていて
一般的な都市にある博物館よりも
かなり楽しめます。
(スタッフの数もめちゃくちゃ多いです。)
そんな大博物館で
歩きながら展示を見ていると
後ろから、
50人くらいの団体客が来ており
知らない間に
その団体に飲み込まれる形になってしまい
博物館自体はすいているのに
自分たちの見ているエリアは
やや混んでいるという状況でした。
その団体客は
政府関係の仕事の人たちが
グループ学習として来ているようで
(こういう聖地では
全国からの政府関係者が学習のために来ます)
専属の解説員が先導しながら
会場を回っており
全員が熱心にメモを取りながら
展示を見て、解説を聞くだけでなく
今風なのですが
半分くらいの人は
スマホでDeepseekにわからないところを
聞いているのが印象的でした。
軽く見てまわるつもりだったのですが
なぜか
この本気のグループと
一緒に回ることになってしまったので
せっかくだから
しっかりとした解説を聞かせてもらいながら
ついていく行くことにしました。
同じような博物館は
貴州でも言ったことがあったのですが
解説員や熱心に勉強するための集団
と一緒に回ってみると
3つくらい歴史観について面白い発見がありました。
1つ目は
辛亥革命は失敗だという認識だったこと。
イメージとして持っていたのは
孫文の辛亥革命が現代中国の始まりだ、
のような、もっと称賛されるものか
と思っていましたが
清朝を倒したことは成功だけど
その後、国を統一するまでには至らなかった。
反乱としては成功
国づくりとしては失敗
というような解説でした。
たしかに
日本ではそこまで細かく習わないので
辛亥革命、孫文、蒋介石と
スムーズに流れるように説明されますが
袁世凱の北洋政府が出てきて
1911年以降は軍閥時代になっています。
1928年になってやっと
国民党軍が北京に入るので
辛亥革命以降の
18年間は清時代の軍人が
政権を取っていた時期なので
革命が成功したとは言えない
ということでした。
2つ目は
1927年4月12日が
かなり重要視されていること。
これもなかなか習わないので
すごく解説に時間を割いているな
と思ったくらいなのですが
国共合作が崩れた
蒋介石による
上海クーデターの日です。
それまでの
共産党の主な活動は
基本的には
外資系企業や
それを手伝う企業の
労働組合に働きかけ
ストライキを起こすというものでした。
マルクスの基本に沿ったような
労働者の団結と
資本家への攻撃というのがメインで
都市部でストライキを
いくら先導することができるかが
ある種のKPIになっていたような
展示のされ方でした。
国民党とも共闘しており
北京の軍閥政府を倒したい国民党と
共産党の利害は一致していたようですが
そんな中
北に向かうはずの蒋介石軍が
共産党を攻撃し始める
というのが上海クーデターです。
そこから
共産党は地下に潜ったり
逃げざるを得なくなります。
(上海から逃げながら延安を拠点にするまでの
大移動が長征と呼ばれ、この間の拠点も
数多く聖地化されています。)
ここの解説は特に長く
みんなのメモの量もすごかったので
転換点となるところなんだなと。
この期間くらいに
共産党設立メンバーである
陳独秀も責任を負われて
それ以降は出てきません。
最後の3つ目は
文化大革命らへんは
本当に空白期間だということ。
隠しているというわけではなく
政治的には完全に空白期間だったことが
展示からわかります。
展示は時系列に沿っており
かなり細かく続くのですが
1956年の第9回の党大会の展示の後
いきなり1973年の第10回党大会に飛びます。
文化大革命を先導した
4人組をやっつけたという展示があるのみで
それまでは
あんなに1年ずつ
詳細に解説されていたのに
急に17年飛びます。
それくらい政治的な成果や
国としての発展がなかった時期
だったということが分かります。
特に内容が禁止されているわけでもなく
政府のHPでも文革は誤りだった
と、結論付けられるほど
公に研究も進んでいる内容なのですが
博物館の趣旨である
発展という切り口では展示するものが
ないということなのだと思います。
しかし、
政治面でなく
文化面で見てみると
印象はガラッと変わります。
中国で80~90年代の
名作と言われる映画、小説などでは
だいたい文革の状況を描いています。
中国を代表する名監督
張芸謀は「活きる」(活着)
という傑作の中で
清末から文化大革命までの時期に渡って
ある地主の息子とその家族の
生き様を描いており、
文革時代では
贅沢品を所有していると思われると
紅衛兵につるし上げられたり
ブルジョア的だとして拷問を
受ける羽目になってしまうので
見つからないように隠したり
捨てたりするシーンがあります。
その時代の映画では
そういう場面の描写や
会話の中で
「この金は紅衛兵に見つからないために隠してたんだよ」というようなジョークが結構出てきます。
陳凱哥の名作
「さらば、わが愛」(覇王別姫)
でも
その時代の京劇役者の人生が描かれ
いくつもの賞を総なめにするなど
時代の変化とそんな不条理な環境に
翻弄される作品は
名作として今でも人気があります。
文革の後は
下放運動という
都会の学生が田舎で再教育するという政策が
ありましたが
その題材なんかも
かなり映画や小説に使われています。
(そして名作と呼ばれるくらい評価されている)
その時代を
振り返るような描写や作品が
文化面では評価されているのに対して
この博物館のように
発展という面に焦点を当てて
この時代を見ると
バッサリ切られていたのが印象的でした。
ちょっと
プレゼンになっているかは
わからない話をしましたが
嘉興市に時間があればぜひ(笑)
P.S
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